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名古屋高等裁判所 平成9年(う)155号 判決 1997年9月16日

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名古屋市中川区松重町三丁目四八番地

有限会社ライトオート一

代表者代表取締役

丸山猛

本籍

名古屋市中村区名駅三丁目九一七番地

住居

名古屋市中区丸の内二丁目二番一九号 シティコーポ東照三〇二号

会社役員

丸山猛

昭和二九年一二月二一日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、平成九年四月二五日名古屋地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官河野芳雄出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人内田龍名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに、被告人丸山には、原判示の各事実について、被告会社の法人税をほ脱する故意がなかったのに、これを認定した原判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があり、また、被告会社を罰金一七〇〇万円に、被告人丸山を懲役一年六か月、三年間刑執行猶予に処した原判決の量刑が重過ぎて不当である、というのである。

しかし、記録を調査し検討しても、原審証人高橋隆美の証言の信用性を肯定し、被告人丸山の原審公判供述を排斥して、被告人には、原判示の各事実について、被告会社の法人税をほ脱する故意があったと認められる、とした原判決の認定、判断は、その(補足説明)の項における説示を含め、正当として是認でき、原判決に事実の誤認はない。所論は、高橋の原審証言は信用できず、被告人の公判供述が信用できる旨、原審以来の主張を繰り返して原判決の認定を論難するが、原判決挙示の関係各証拠及び訴訟記録に照らせば、被告人丸山が、節税という言葉で、被告会社の実際の所得額等になんら基づかず、法人税額を恣意的に決めて申告しようとしたこと、したがって、被告人丸山に法人税ほ脱の故意があったことは動かしがたく、右所論を採用しがたいことが明らかである。

また、本件は、被告会社の代表者である被告人丸山が、期末棚卸高の金額を圧縮したり、売上げの一部を除外するなどの方法により、被告会社の平成元年五月から平成四年四月までの三事業年度分の法人税合計八一四七万円余をほ脱したという、法人税法違反の事案であるところ、本件の罪質、ほ脱した税額が多額であり、ほ脱率も九〇パーセントと高率に達していること、昭和六三年に税務調査を受け、修正申告をしたことがありながら、本件各犯行に及んでいること、被告会社の経理がでたらめで、法律に則った会計の帳簿や計算書類を作成しようとしなかったことが本件犯行の背景にあること、などの事情に照らすと、その刑責を軽視することはできないが、他方、原判決がその(量刑の事情)の項で指摘するように、犯行態様は比較的単純であること、ほ脱にかかる本税はすべて納付ずみであり、延滞税、重加算税についても相当部分が納付ずみで、未納分についても納付が予定されていること、関与税理士に犯行を助長するような軽率な行動があったこと、被告人丸山に前科がないことなど、被告人らに有利な諸事情も認められるところであり、これらの一切の事情を勘案すると、被告会社を罰金一七〇〇万円に、被告人丸山を懲役一年六か月、三年間刑執行猶予に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。

論旨はいずれも理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 笹本忠男 裁判官 志田洋 裁判官 川口政明)

平成九年(う)第一五五号

控訴趣意書

被告人 有限会社ライトオート

被告人 丸山猛

右の者らに対する各法人税法違反被告人事件についての、控訴の趣意は左記のとおりである。

平成九年七月二二日

弁護人 内田龍

名古屋高等裁判所 御中

第一 原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある。

原判決の事実認定の基礎は、関与税理士である高橋証人の供述と被告人の供述を比べて、前者は信用できるが後者は信用できないとしたに尽き、これ以外には特段の事実は示されてはいない。せいぜい経験則に基づく推認により高橋証言は信用するに足りるとしたにすぎないが、その推測はあまりに一方的に過ぎるものである。

二 ところで本件において高橋証人と被告人の供述には共通する要素がある。すなわち両者の供述とも捜査段階と公判廷では異なっているという点である。より明確に表現するならば一八〇度違っているといっても過言ではない。このように顕著に食い違いを見せている両名の供述を原裁判所はいとも容易に高橋は信じられるが被告人は信用できないとしたのであり、それはあたかも被告人に有罪の推定をもって判断したかのようである。何故に捜査段階での供述は信用でき、公判廷での供述は信用できないのか理解に苦しむ。このような認定は被告人は公判廷では罪を逃れようとして嘘をつくと考えるのが当然であると言う予断によるもので、公平な裁判所の判断とは到底思えない。

三 我が国の刑事訴訟法は確かに捜査官の録取した供述証拠についても証拠能力を認めているが、それらが証拠となりうるのは極めて限定されているはずである。当弁護人は民事を主とする弁護士であり刑事事件の実務に精通していないのかもしれないが、一体本件において刑事訴訟法第三二一条第一項第二号に言う「公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の事情」が何であるのかどうしても理解できない。

その一つの証左として当弁護人は被告人が本件事件において検察庁に出頭する際、上申書を携行させ、国税庁においては真実を述べ得なかったので被告人の言い分を録取されたい旨を述べさせた。ところが検察庁でできあがった書面は、ことさらに新たな取り調べを行った様子もない査察官の調書のレジメのような調書であった。原裁判所はこの点を取り上げて、被告人は検察官から説論され、真実を述べたものであるから調書の記載は信用できるとしたのである。それでは当該上申書は弁護士が勝手に作り上げた虚偽内容のものであったのだろうか。少なくともそのように言おうと思っていた被告人の調書がそのような内容になっていないのは何故なのであろうか。公判廷に至ってまで堂々と嘘を述べる被告人が何故検察庁では真実を述べるのだろうか。

また、他方で原判決は捜査官の捜査の段階でも被告人は弁護士と相談する機会があったのに犯意を否定していないことを指摘している。これをもって裁判所は弁護人の立会権が実質的に保証されていたいと言いたいかのようであるが、あまりに実社会の常識に反しており、社会に対する裁判所の信用さえ危ういものである。

四 捜査段階での供述が一般的に信用できない点について、右の点を述べる前に明らかにしておきたいことは、本件では客観的事実は何も争いがないことである。争いのあるのはただ一点、被告人の犯意という内心の事実、あるいはそれを推測させるに足る当事者の言動である。さして捜査の中心はそのような事実を確定させるにあったことも疑いはない。

1 国税庁の捜査

このような段階での捜査が客観的に公平な状況に行われると考えることはそもそも期待できないというべきである。これはすなわち捜査に当るものが課税についての決定権を持っているのであるから、調べを受ける側は捜査官に逆らわないようにしようという心理が働く。できる限り税額は少なく認定してもらいたいからである。しかも原判決がいみじくも指摘しているように、刑事事件になるなどと思ってもいなかった被告人が早くわずらわしさから免れようと迎合的になったとしても止むを得ないことである。国税庁の査察調書の内容は査察官の意見であり、課税権をちらつかせてのものであり、信用性があるものと断定してかかるのは危険であり、少なくともこれと異なる供述が公判廷で行われたようなときには、より慎重にその真実は吟味されるべきである。

2 検察官の捜査

右の理由で弁護人は公平な裁判の実現のため査察官の調書の罪を抽象的に認める部分は不同意にしたが、それはそのまま検察官の調書に登場している。しかも弁護人の作成にかかる上申書があったにもかかわらずである。現在検察官の調書が検察官の意見にすぎないものであることは周知の事実である。何故に密室で行われた取り調べの際の調書に先の「特別な事情」があると言えるのであろうか。被告人は公判廷で取り調べに当たった検察官が机をたたいて怒り「身柄を拘束することもできる」と述べたと訴えた。担当の検察官を呼んでも真実は明らかにはならないであろうが、大切なことはかような言葉が用いられたとしても誰も明らかにはし得ない状況にあったことである。裁判所は検察官調書を考慮する際、少なくとも公平を疑わしめるに足りる状況にあったことを理解すべきである。そうでなければ裁判所が検察官の意のままに扱われていると言われても止むを得ない。

五 本件において被告人丸山の供述が信用するに足りる事情

先にも述べたとおり本件は高橋証人の供述の信用性と丸山被告人の供述の信用性の問題に尽きるものである。これらの点については、既に原審において弁護人が主張しているところであるのでこれを援用するが、その要旨は次のとおりである。

1 高橋証人の供述の信憑性

原判決は、高橋証人は税理士なのであるからその資格を喪失するような行為を安易に行うはずはないと認定した。それではもし弁護人が主張するように杜撰な会計処理を高橋証人が行っていたとしたら、果たして彼は自らの税理士資格を喪失するような供述を行うであろうか。人の常として自らに事実を構築するのではないだろうか(高橋証人は、調書上からも明らかなとおり、国税段階での取り調べでは被疑者であった。)。

ところで、原審の記録に現われた高橋証人の調書では、ことごとく社長(丸山被告人)に指示されました、との供述となっている。そしてこれをもとに検察官は被告人丸山に脱税の故意があったことを立証しようとしたのである。しかしながら弁護人は公判廷において高橋証人を尋問し明らかに調書での供述とはことなる証言を得ている。例えば売上や仕入について、被告人の指示によるものではなく自ら適当に振り分けたと明確に証言している。また在庫についても何らの作業を行う事なく前年度の数値を記入して、あとは税額から割り出した在庫額を算出したにすぎないのである。

原審でも述べたとおり、確かに被告人が高橋の言に従い安易に在庫額が低額であることを知りながら申告を行ったことの責任は大きい。しかし、これを脱税の故意と言い得るかどうかは別問題である。原審でも認定されているように、被告人は高橋税理士に対して「大丈夫ですか」と尋ねている。これはあまりに安易に決算書を作成してくる高橋に対して不安を覚えたからである。これに対し、高橋証人は、そのようなことは刑事事件にもなりうるという事実を何ら告知していない。むしろいずれ調整しますからと述べただけである。思うに高橋証人は後に税務署の調査があればその指摘に応じて修正すればいいと極めて杜撰に考えていたに相違ない。到底責任のある税理士が行うこととは考えられない。この点を原判決は全く看過しているのである。

2 丸山被告人の供述の信用性について

既に原審において弁護人が縷々述べたとおり、本件は脱税事件としては極めて異色である。第1に脱税したとする勘定項目が一つを除いてすべて記帳されている点である。つまり何も隠そうとしていないことである。このような間抜けな脱税事犯はありえない。第2に勘定科目の仕訳の間違いによりかえって税額が増加しているものがあるということである。原審で採用された調書では各仕訳の細かな指示も「すべて」被告人が行ったと記載されている。それでは逆のものについては被告人が指示したのかどうかについて原判決は曖昧な判断しか示さず、矛盾は無いと判断しているのである。かような検察官よりも検察官らしい偏向した判断が事実の誤認を招いたのである。どうすれば「脱税の故意の元に指示をしました」という調書が信用できるというのであろうか。

丸山被告人の過失はただひとつ、税理士である高橋証人に任せておけば違法なこととはならないと信じた点である。

第二 量刑不当

本件脱税行為は、被告人にはその意図はなく、犯罪を構成し得ないものである。ちなみに弁護人は個別認識説に固執してこのように主張するものではない。

しかしながら、評価の問題に帰するが、在庫については過少であることの認識を被告人は有していたものであるから、これをもって未必的ながら故意であったと評価されることは、弁護人の意見とは異なるがなお解釈の幅として考え得るところである。

しかし、そうであっても本件が脱税と評価されることの原因は、高橋の量刑はこの点から重きに失するものであり、量刑不当である。

第三 控訴審での弁護方針

本件では高橋証人の供述が有罪認定の大きな要素となっている。弁護人は控訴審においてさらに詳細に高橋証人の事務処理を明らかにしてその杜撰さを明確にしたく、再度証人として申請する。

以上

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